首都圏・1都3県の一角を担う埼玉県。その県庁所在地であり、玄関口として機能しているのが浦和であり、浦和駅となります。JR京浜東北線、高崎線・宇都宮線(上野東京ライン)が停車し、2013年にはそれまで通過していた湘南新宿ラインのホームが完成し、停車駅となったことで、4線が乗り入れる主要駅となっています。
県の中心的役割を果たす浦和駅ですが、県庁所在地としての名に恥じない大型商業施設などが集まる繁華街としてはもちろんですが、古くから交通の要衝として、宿町として栄えた由緒ある街でもあります。
そんな浦和駅の今を見ていきたいと思います。
駅周辺
名実ともに埼玉の玄関口の役割を担う浦和駅。JR東日本の単独駅としては最多の利用者数を誇るターミナル駅としても機能しています。改札は南浦和方の中央改札と、大宮方のアトレ北口(Suica専用)の2箇所。広い駅ではあるものの、シンプルな導線となっています。また西口へと続く地下道には、サッカーJリーグチーム・浦和レッズの本拠地でもあるということで、オフィシャルショップや選手のユニフォームが展示されています。
湘南新宿ライン方の西口は、駅ビルがそびえ立つ立派な駅舎に、広いロータリーを有するターミナル然の雰囲気。伊勢丹とコルソが駅前を彩り、その奥には商店街が連なります。その先は旧中山道の浦和宿、埼玉県庁などの官公庁街へとつながっていきます。
さらにロータリーの南側では再開発事業が進められており、複合施設の建設がはじまっています。
一方の東口も負けず劣らずの賑わいっぷりですが、一世代前は住宅街が広がる郊外の街並みでした。2000年代になると再開発が進められ、駅舎はもちろん駅前広場の整備やパルコの開業などで状況は一変。双方でターミナル機能を二分するまでに発展していきました。
商業施設
駅ビル・アトレをはじめ、西口・東口双方の駅前には伊勢丹やパルコなどの大型商業施設が軒を連ね、埼玉県の中心としてもふさわしい街並みが広がります。またそれ以外にも商店街が密集しており、大型店に負けじと賑わいを見せる活気のある街であると言えるでしょう。
中山道の宿場町として栄えた街、今なお残る歴史の跡
県庁所在地・浦和を語る上で避けて通れないのが、東京・日本橋から京都・三条大橋間を結んだかつての街道・中山道であり、日本橋から3番目の宿場町として交通の要衝として栄えた浦和宿でしょう。石碑や歩道に銘板が埋められているため、界隈が宿場町だったことがひと目でわかるようになっています。市街地ということで当然ながら雑居ビルが立ち並んでいたりと、現代の街並みが形成されていますが、当時から営業している老舗や、面影を残す建物なども一部で残っていたりと、その痕跡を見ることもできます。
宿場町は県政・市政の中心へ。行政機関の並ぶ官公庁街
古くから交通の要衝を担ってきた浦和。時を経て武蔵国はやがて埼玉県となり、県庁舎をここ浦和に置くこととなりました。埼玉県庁は西口の大通りを500mほど直進した場所にあります。建物は地上5階建てと、ビル型の東京都庁や千葉県庁と比べると高い建物でははありませんが、その分広い敷地面積を有しています。
その県庁の向かい側にはさいたま地方検察庁、さいたま地方裁判所など司法施設が並びます。その理由から周辺には司法書士会館や法律事務所等が多く集まります。
県庁のちょうど裏手にあたる北側には埼玉県警本部があり、県庁とも連絡通路で繋がっています。
また浦和は県政だけにとどまらず、さいたま市の中心ともなっているため、県庁から国道17号を北へ500mほど行くとさいたま市役所があります。さいたま市は2001年に合併によって誕生した市ですが、こちらのさいたま市役所も元々浦和市役所として使われ、現在に至ります。2022年に4月にさいたま新都心への移転条例が可決したとのことで、今後の動向にも注目が集まります。
まとめ
中山道の宿場町として江戸時代から栄えてきた歴史を持ち、埼玉県・さいたま市それぞれの行政の中心を担う街、浦和。
筆者もかねてより通っていたライブハウスがあったことから、よく訪れていた街ではありました。(今回訪れたのは実に10年ぶり)
歴史的な背景をたどったり、新たな街の発展に驚いたりと、今まで知らなかった街の魅力に気づき、歩いていてとても高揚していたような気がしました。
もしかしたらまだ知らない魅力があるかもしれない。
訪れても、目を凝らしてみないとわからない魅力が、大きな発見に繋がるんだろうなと。
これからももっともっと、いろんな駅を知っていきたいなと、改めて想えることができました。
ありがとう、浦和。また来ます。