日本国内の各地域に路線網を設け、最大規模を誇るのが、誰もがご存知であろうJR各社。元々は国鉄(日本国有鉄道)という国が運営していた鉄道でしたが、1987年に民営化。現在のJRとして7社に分社化されました。その国鉄〜JRに至るまでに、最大の製造数を誇る鉄道車両があったのはご存知でしょうか?
それが今回ご紹介する103系電車。日本にいればどこででも見ることができた車両ですが、老朽化によってその数は減少し、今ではごく一部の路線で活躍するのみとなりました。そんな103系電車についてと、その今をお伝えしたいと思います。
製造数3000両超!日本中どこにでもあった103系電車とは
今回ご紹介する103系車両は、国鉄の新性能通勤型車両として、1963年(昭和38年)に登場しました。当時の国鉄の財政、保守などの事情を考慮して設計されたことから、以降増備が進められ、最終的に3,447両を1984年(昭和59年)まで製造。昭和の国鉄を代表する電車となりました。そのため日本の各主要都市ではこの103系が当たり前のように走っていました。この時代を知る人であれば、山手線と京浜東北線で103系が並走する姿を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
JRに移管してからも、各社で活躍を続け、関西圏では延命工事を行い、近年まで主要路線で活躍していたほど。現在でも一部の路線で活躍を続けますが(後述)、老朽化の波には勝てず100両に満たないまでに数を減らしていっています。
時代や需要によって変化した仕様
103系は20年にも渡って製造が続けられた関係から、時期によって仕様が大きく異なるのも特徴です。初期に製造された車両は、先頭車の運転台が客用窓と同じ高さに設定されてます。増備が進むにつれ視認性向上が必要になってきたことから、後期型の車両では運転台が高い場所に設置されるようになり、同形式であるにも関わらず全く異なる顔を持つ車両となりました。これらは使用線区によって違うものの、転属などが多い車両であったためか、区別なく使用されていました。
基本は地上線を走行することが前提の103系ですが、地下鉄と直通する路線が出てきたことから、貫通扉を備えたものも投入されました。写真左のJR九州・筑肥線は福岡市営地下鉄と直通運転をする関係から、独自仕様の1500番台を導入しました。一方右の車両は、現在105系として活躍する車両ですが、実は過去には常磐線と営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線との直通のため導入された103系。原型のものとはさらに異端な車両となっています。
日本の各都市を彩った、103系のカラーバリエーション
日本の主要都市で活躍した103系は、さまざまなカラーバリエーションを取り入れ、今では当たり前となった路線別カラーのパイオニアともなりました。JR化後に取り入れられた色もありますが、ここでは国鉄時代に導入された5色をご紹介します。
こちらは爽快感たっぷりのスカイブルー。この色でピンと来る方もいらっしゃるかと思いますが、最初に導入されたのは京浜東北線。現在のE233系にも用いられていますね。その他に京葉線、仙石線。関西地方では京阪神緩行線、阪和線など。一時期名古屋地区の中央線でも使用されていました。
どことなく温かみさえ感じるバーミリオンオレンジは、首都圏では中央線快速、武蔵野線、青梅線、五日市線。関西ではつい最近まで活躍していた大阪環状線が記憶に新しい方もいらっしゃるでしょう。その他片町線(現在の学研都市線)でも使用されていました。
若草のような癒やしさえ感じるウグイス色といえば、誰もが知る東京の大動脈路線・山手線。昭和の東京はこのウグイスの山手線と、スカイブルーの京浜東北線が並走する姿が当たり前のように見られました。
その他埼京線、川越線、横浜線もウグイスが採用されていました。関西圏においては、大和路線、奈良線、おおさか東線で使用されていましたが、こちらは前面に白帯が敷かれたものが採用されていました。
小鳥のさえずりが聞こえてきそうなカナリヤイエロー。首都圏では中央・総武緩行線、南武線、鶴見線。関西圏では福知山線で使われていました。
最後は何とも鮮やかで透明感さえ感じるエメラルドグリーン。こちらはなんと常磐線のみの専用カラー!E231系、E233系に置換えられた今でも路線カラーとして愛され続けています。常磐線からの引退後に、加古川線でこの色を引き継いだ103系が導入されました。
103系は今・・・?現役で活躍を続ける路線
日本全国で活躍した103系ですが、延命工事を受けたJR西日本でもついに絶滅危惧種となり、最後のウグイス色として活躍していた奈良線でも2022年3月に営業運転を終了しました。現在でも活躍を続ける路線をご紹介します。
兵庫県神戸市にある兵庫駅〜和田岬駅間を結ぶ和田岬線では、スカイブルーの6両編成。唯一最も原型に近い姿で活躍しています。わずか2.7kmの、朝夕のみ営業する路線ですが、和田岬駅近辺の工業地帯で働く方々のアクセスを担っています。
こちらは前述の常磐線エメラルドグリーンを継承した加古川線。加古川駅〜西脇市駅間の主力車両として活躍しています。加古川線自体がJR化後に電化された路線で、中間車から改造された車体のため、前面デザインがこれまでの103系とは大きく異なるのが特徴です。(103系というより、72系に似ています)
加古川駅から西へ1駅、姫路駅を起点とする播但線。当駅〜寺前駅間の電化区間で活躍します。原型顔をベースとしていますが、こちらも改造車。カラーも唯一となる赤を纏っています。
最後は一気に西へ移り九州へ。前述でもご紹介したJR九州の筑肥線で活躍する1500番台。製造時期が最も後期に当たるため103系というより、105系や119系の前面に203系の車体をくっつけた全く異なる車両と言えるでしょう。元は福岡市営地下鉄との直通運転用に導入されましたが、その役目は後継の303系・305系に渡し、現在は筑前前原駅〜西唐津駅のローカル区間で運用しています。
まとめ
昭和の行動経済成長期に生まれ、平成、そして令和と日本の発展とともに駆け抜けてきた国鉄103系電車。本来えきまえふぁんとして扱う内容とは外れてしまいますが、同じ鉄道を支えるものとして築いてきた文化というものは共通しています。
また物は使い続ければいつかは廃れて行きます。
たとえ大量に生産されたとしても、廃れればその分数を減らしていきます。
当たり前のようにある光景は、永遠に続くものとは限らない。
そんな当たり前を未来へ残したい。そんな想いから今回この記事を書こうと決めました。
この時代を知る方々にとって懐古するきっかけに、また若い世代の方たちにもちょっとした歴史を知ってもらうことができたら非常に嬉しいです。